「霊的センスと生活」(4)
† 慣れの落とし穴。
バスに揺られて昼食会場に案内された。石段を登ると、眼下には太平洋が広がる眺めの良い場所だった。名物の海鮮料理が素晴らしい評判の食堂である。初めに案内人が中に入ろうとしたが、引き戸が50センチ位しかスライドしない、驚いて一人づつお入り下さいと、戸惑いながらの案内。私は力任せにギシギシと全開の90センチまで押し広げた。全員が席に着いてみると、なるほど盛りだくさんの海鮮料理が列べられていた。もう一つ驚いた、エアコンが全然効いていない。コロナのために南側の窓が開けてある。ならば扇風機ぐらいはあって欲しいのだが無い。しかもメインはシャブシャブで、これまた熱いわけである。多分、毎日訪れるお客さんは、この状態で食事をしていると言う事だ。提供する料理に力が注がれている。それはとても良いことだ。ただ、それ以外のことに、おもてなしの気配が感じられない。玄関の動かない引き戸や、食事会場の環境について、いつのまにか、気にもならない当たり前になり、慣れてしまっている。もう少しのセンスを利かせれば、格段にこの店は素晴らしくなると思う。私達も乱雑さになれると、それが当たり前となる。きれい好きのセンスがここでは眠ってしまうのである。
† センスを継続する。
夏休みになると、リズムが変わる。ひごろ我慢していたゲームに、はまりこんでしまい習慣を失うことにもなる。学生は日頃のルーティーンを変えなければならい。・・・・私達の霊的なセンス(霊性)を保ち続けるには、身体の健康を維持することと同じ原則が必要となる。健康には安全な食品による栄養バランスの利いた食事と、充分な睡眠、衛生管理、適切な運動が必要である。霊的センスが維持され、進化してゆくためには、食事に相当する、御言葉(いのちのパン)を良く読む事を通して、自ら黙想し実践する。心の清潔を守り、主イエスと同じように祈る事である。自分の信仰像となる、模範者に追随することで、霊的センスがさらに引き上げられるのである。この霊的健康のルーティーンは、古今東西変わることは無い。最重点は「霊」である。次に心(魂)となる。夏休みや職場の長い休暇にあっても、霊的なルーティ-ンが守られていれば、クリスチャンとしての全てが、祝福に守られる。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」ヘブル12・2