「領域を意識する」(1)

† 残溝(コウ)が少ない。
 自動車のタイヤには縦横の溝がある。長く車を使い続けると、当然ながら、タイヤが摩耗して、その溝が浅くなる。タイヤの大きさにもよるが8ミリの溝がある。前輪の溝が4ミリになったら取り換えるよう勧められる。後輪は3・8ミリとされる。その理由はブレーキを掛けた時、止まるまでの距離が長くなる。濡れた道路などでは、さらに停止距離が伸び、スリップも起こる。タイヤを替える気がなかったのだが、前輪がパンク(破裂)で取り換えざるを得なくなった。溝が4ミリを下回っていたので、前輪の2本を取り換えることで「領域」を守る事に落着した。このタイヤ問題は小さいと思える。しかし、ブレーキが利かず事故でも起こした場合には、不良タイヤを使用していた。となり、大きな代償を求められることになる。聖書も、何事にも守るべき領域がある事を教えている。「また、主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました」ユダ1・6)国際的な「領空」「領海」も同じく、領域を無視する行為には、世界からの手厳しい評価に晒(サラ)される。私達も霊的領域を堅持して平安を守ろう。

 † 危険の基準。
 世界中で起こっている事は、干ばつと大洪水である。世界中で山火事が起こるのも、極度の日照り(乾燥)による。この季節に毎年聞かされる気象用語がある「線状降水帯」である。東北では、今までに無い豪雨となり、河川の氾濫によって洪水に見舞われている。危険水域の基準が、いとも易々と越えられてしまう時代になってしまった。安全の領域を今までよりも高くして、見合った対策と生きてゆく生活の場をより安全にする事を余儀なくされている。日本列島は全域で、台風並み、それ以上の、長時間の線状降水帯が発生する。伊勢湾台風では電柱も家も倒れ、元通りになるには大変だった。日本の各地で河川の氾濫による浸水被害にある方々を思うと、その大変さに心が痛む。「私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています」ロマ8・22)自然界は人間の罪の結果、混乱し秩序を失っているのである。

「領域を意識する」(1)