「光りの子供らしく」(5)

† 恐れない訓練。 
 「自分自身を知る」と言うことは簡単ではない。幼い時にはほとんど自分の事がわからないままだ。少年となり、ようやく友達と違う自分について、気づき始める。それも、人によっては、人との違いについて、全くわからない者もいる。川遊びの中で友達が、ピョン、ピョンと石から石へ飛び移るのに、私はどうしても怖くて出来なかった。私は4才くらいまで東京にいた。どうやら凄く過保護に育てられ、一切の危ない遊びや、行為を禁じられたようである。自覚されない、潜在意識が私を形づくっており、さまざまな人との違いを感じるのであった。大きな障害は「恐れる」不安な自分であった。逃れることの出来ない、自分の性格のようになっていた。精神分析的に、原因となる過去のことが理解されたが、解決する「恐れを払拭する力」は与えられなかった。唯一の解決となる感謝は、福音に出会い「光りの子供」に生まれ変わったことである。「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです・・・・」ロマ8・15)キリストの御霊のみが、人間の恐れを取り除く「力」である。それ以外の方法はない。御霊により訓練され、全ての恐れに対処できるのである。「アバ、父。と呼び」平安の中に置かれるのである。

† 成長と解決のリスク。
 「リスク」とは、危険。冒険。を意味する。光りの子供というのは、幼ぼい事でも、子供ぽいことでもない。主なる神の全能性の中で、勇敢に危険を冒す、冒険をすることが出来るということである。神に近づくということは、神の光によって自分自身の闇も、罪も、傷も全てが知らされることである。光の子供は、その危険を知りつつも、神に近づく必要がある。保全的な自分をブレイクスルーする秘訣である。多くの人がリスクを除外して、信仰的、霊的な成長を願っていると思える。誠に神に生きるには犠牲を伴う。本当に信仰がある光の子供は、真実な成長を求めるはずである。今の快適や今のゆとりが変えられ、主イエスから「それを私に捧げよ」と、言われることが、リスク(危険)としてある。実は、それが私達の本当の人生の解決になるのだ。自分を変えられることを喜びとする、幸いな光の子供は誰だろう?

「光りの子供らしく」(5)