「両刃の剣を握る」(2)
† 懲らしめられる幸い。
母の日である。母は子を教え諭して、賢く育てる。「彼は懲らしめがないために死に、その愚かさが大きいためにあやまちを犯す」箴言5・23)懲らしめがない、とは、叱られたことがないほどに甘やかされ、心が成長していない子供のことである。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである」ヘブル12・5-6)私達が教会に集う目的は、年令に関係なく、神の子供として、聖なる父(神)から訓戒(懲らしめ)を受け、世の中の罪悪の力に屈しないで、正義を重んじ人々を愛する生活をして行くためである。母は賢く我が子の心を見抜いて、正しく叱り、愛情を注いで勇気を持たせてくれる。神は、聖書の言葉を通して、全ての人に自信と力を与え活かして下さる。このように人生を切り開き、知恵と知識の鋭い両刃の剣を握る者となる。母が聖書に従い、子を育てることは、最高の人生を与えることである。
† 慈しみと厳しさ。
「見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです」ロマ11・22)「慈しみと厳しさ」は、相対する言葉だ、まさに鋭い両刃の切れ味を感じる。私達が受け取った、神の慈しみの中に留まり続ける限り、神の厳しさに切り落とされて、倒れることはない。私達は、神の御言葉を軽んじないよう注意しよう。「主は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に」出エ34・6-7)父は私達に憐れみと、恵みを千代までにも与えようとされている。私達は十字架の愛で罪の刑罰を赦された。その恩義を忘れず、この父の慈しみの中に生き続けるのだ。そうすれば三代、四代にまで続く神の呪いの罰を、私達から、永遠に追い払う事が出来るのである。ハレルヤ!