「入れ換える」(4)

† 入れると元に戻らない。
 注意書きに書いてある。「これを入れると元に戻りませんご注意下さい」慣れ親しんだ環境がなくなって、新しい環境に成りますよ、と言うわけである。そんなことが多々あったのがプログラムのグレートアップ(バージョンアップ)である。全体が更新され、新しくなり、進歩しているのだ。しかし、あるものによっては以前のままの方が使いやすいと思う事がある。時代が進むにつれて、セキュリティ(危険や脅威から守るための段取りや手段)が高度に必要になってきている。そうすると古いものを新しいものに入れ換えねばならなくなる。メーカーが古いバージョンのアップデートを中止するからである。何とか別の方策を見つけ出して、今のままで使い続けるようにして行きたい。人間の創り出した物は常に「新しい物への」入れ換えを求める。しかし、人間を創られた主なる神は、信じる者の中に住まわれる。かえって内側からお働きになって、私達を新しい者へ、キリストの似姿に換えて行かれる。キリストに関心を持てば持つほど、誰でも新しくバージョンアップして行くのである。

 † 告白、宣言の力。
 私達はキリスト者として、使徒達の教えに従って今日を生きている。信じている事を明確に本物にするのは、告白であり宣言だと心に強く留めている。「では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです」ロマ10・8)もう一つは「ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます」マタイ10・32)公に告白されない信仰は、確たるものではない、と思うのである。私の人生の入れ換えは「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」ガラテヤ2・20)の信仰宣言にある。この「入れ換え」こそが、生きる事の素晴らしい現実だと確信できる。この事を恐れる人の原因はなにか?生きる事が「自分が在ってのこと」と思っているのではないか? しかし、人間は神にあって死んで、生きられるのである。それを与えて下さるのが主イエスキリストなのである。

「入れ換える」(4)