「入れ換える」(6)

† キリストの花嫁。
 花嫁になるには、一人の夫となる花婿のために、添い遂げる覚悟が出来ていること。即ち、夫以外の愛の対象を排除し、潔く備えることである。花嫁が、これを堅苦しいと感じるようならば、結婚生活は相当に困難である。「・・・・私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです」2コリント11・2)この御言葉は、地上の男女の結婚を否定しているのではなく、地上の男女は、キリストの花嫁となるように想定されている事を現わしている。地上の結婚生活は、天上での婚姻の前味として尊い要素を含んでいる。その生活で傷つき、苦しんだにしても、大きな価値に繋がる。私達は悲しみや痛みを、キリストの血潮に癒やされて、潔い者にされる。「花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである」默19・8)主なる神を崇め、主イエスに従う生き方が、正しい行いである。全ては、天上での婚宴に招かれる花嫁になることである。キリストに真実ならば、真実の花嫁に換えられる。

 † クラウド(雲)。 
 例えば、牧師が聖書の註解書50巻を購入すると、大きな書棚を用意しなければならない。別の註解書や様々な辞書を揃えると書籍に囲まれることになる。費用も膨大で、特別な収入でもないと必要な本が買えない。このような出版物が「紙」から電子データーとなって、インターネット上の「クラウド・サービス」に載せられている。主に、英語版であり、日本語版の註解書が電子データーになっているのを、まだ聞いていない。この様な、入れ換わりは、近年の大きなメリットを教会にもたらしている。電子化された本は紙媒体の書籍の五分の一になる場合もあり、貧しい牧師にはありがたいことになる。何十冊分のデーターを用いていて、クラウド仕様になっている事を知らない事もある。実は机上ではなく、クラウドの中にあって動いているのである。「クラウド」 は見えない。同じように、私達の全能の神も見ることは出来ないが真実である。「どうか、世々の王、すなわち、滅びることなく、目に見えない唯一の神に、誉れと栄えとが世々限りなくありますように。アーメン」 1テモテ1・17)

「入れ換える」(6)