「揺るぎない世界をつくる」(5)

† 実感している世界。
 人間が機械のように操作されて、造り変えられると、特殊な目的のために生きるようにされてしまう。マインド・コントロールとは、そう言うものである。自分の自由意志や選択権を失い、コントロールされている世界に、全てを献げてしまうのである。その手段は最先端の科学的で、心理学的な高度な方法であり、段階的に行われるという。要するに「カルト」である。世界制覇をもくろむ、集団「破壊的カルト」もある。基本的な人格と人権を、完全に従属させられる、奴隷状態と言わざるを得ない。しかし、本人には理想の世界に生きているという感覚であり、それ以外は「悪」の世界であると、決定ずけられているという。脱会したり、挫(クジ)けることは地獄に落ちる事に決まっているのである。この巧みさがマインド・コントロールなのだ。私達の信仰はそう言う本質はない。信教の自由の中で、私はキリストを救い主と信じたし、強制されて、あるいはコントロールされて、教会に縛られてはいない。完全な自由と権利の中で、神に仕えることを選び、兄弟姉妹との交わりを、喜びとしているのである。

 † 神が創り換える。 19才で聖書を読み出した。当然キリスト教全般を知りたいと思った。当時は社会的である事と、科学的である事が私の関心であった。罪からの救いのみで、人生の問題全般は解決しないと考えていた。要するに、私自身の問題意識が中心にあって、その解決が聖書から、どの様に与えられるに関心があった。私が、神に創られた神のもの、という世界は見る事が出来なかった。しかし、神はイエス様をとおして、私の世界を創り変えて行かれた。この世界に生きるための信仰が、神の御心と永遠の世界に、生きる事へと換わってきたのである。たぶん、日本人なら誰もが同じような過程を通るのでは?それで、世捨て人になったのか?よりこの世界を愛せるようになった。この世に生きる意義も与えられるのだ。神の慈しみは、私達の魂をキリストの心と信仰に、創り換えて、神ご自身を示して下さるのである。そのように、知れば、知るほどに、驚きよろこび感謝でしかない。「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です」ピリピ1・21)誰でも、このパウロの実感を得ている。

「揺るぎない世界をつくる」(5)