「螺旋(らせん)状的信仰」(1)

† 成長は螺線的である。
 私は音楽を好むが、音楽を極めているような熟達者ではない。直観的に多彩な楽器のハーモニーに、心地よさを感じる程度である。教会ではバイオリンの教習があり、数名の生徒が日に日に成長し、発表会には素晴らしい演奏を披露して、私達を驚かせる。その事もあって、著名な作曲家のバイオリン協奏曲を聴くようになった。モチーフ(最小単位の音型)が、壮大に発展しながら、また原型(音型)に繋がり、さらに発展して行き、フィナーレ(終楽章)を迎える。途切れることのない螺旋状に上昇していると、素人として感じる次第である。信仰の原則を考えるならば、この螺線状のリング(環)を回りながら上昇(成長・昇華)すると理解する。ぐるぐる回る時には、必ず同じ位置を通る。しかし、一段上の同じ位置であり、これが5段目、10段目に至っても位置は変わらない。例えば十字架という真理の位置は一段目も20段目も変わらないが、20段目では、壮大な意味と内容を持って霊的昇華がされているのである。信仰はあらゆる神の真理を繰り返し、繰り返しながら私達の中に展開し、圧倒的な感動と喜びをもたらし、常に神の御名をたたえる終楽章に至るのである。

† 弾力性のある力。
 「バネ」には種類がある。引っ張りに対してのもの、圧縮に対してのものである。板状のものもあり車の後輪に見る事が出来る。螺線状のスプリングバネは、身近な所ではボールペンの軸の中に見られる。螺線状のバネを想定してのことだが、規則的な引っ張りや圧縮、不規則な事態にも、元の位置に戻す働き(機能)を持つ。私達が主イエスを信じて、人生に迎え入れるならば、安定した人生を獲得できる。人間としての関係性の節々に、主イエスの福音が「繋ぎ」となるからである。現実と未来の間には、決して不安定をもたらさない。主イエスが「切れないバネ」のように働かれる。生活上の衣食住に関して、人間は不安にかられ、神を信頼していない。具体的な生活に関して、人は神から遠い。しかしながら神の愛と真実は、私達から離れない。強くて弾力性のあるバネのように繋がっている。私達引きよせ、ご自身の真実を知らせようとされるのじある。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」ヘブル13・5)ハレルヤ!

「螺旋(らせん)状的信仰」(1)