「螺旋(らせん)状的信仰」(5)

† 年の巡りが早くなる。
 4歳の子供が教えてくれたのは「早く大人になりたい」であった。ほほえましくて「そうだね。早く大人になりたいね」と、相づちを打った。年齢の記憶では「もう40才か・・・」と、その時に言いようのない動揺を覚えた。大人は子供には戻れないばかりか、1年が、5年が走馬灯のように過ぎ去る。50才は直ぐに60才となる。急激に螺線を駆け上ってしまうようになる。高齢者として語れる事がある。第一に、年の巡りが早くなっても、別に問題はないと言うことだ。変わらない体調が維持されていれば良いのである。第二に、聡明な脳の働きが伴えばさらに良い。60才の時と変わらないで90才ならば、年齢は高いほど光栄なことである。モーセのように120才になっても、全てに衰えていないことが、重要な事で、年齢とは関係ない。クリスチャンとして「年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者に告げ知らせます」詩71・11)長年にわたる、神の偉大な恵みと憐れみ、まさに大能のお働きを、次世代に証明し、告げ知らせる。これが100年時代の特権である。

† 臆病が招くスパイラル。
 「スパイラル」フイギア・スケートでは、回転をして滑ること。文字通り螺線(ラセン)の事だが、スパイラルには「悪循環」という意味でも使われる。民数13章には、乳と蜜が流れているカナンの地を偵察する記事がある。部族代表12人が40日をかけて偵察してきた。まさに豊かな「乳と蜜が流れている」土地であった。神は、その事に目を留めることで、イスラエルを導き入れる計画であった。しかし、私達も陥る現実が起こった。マイナス要因を数え上げ、さらに我々よりも強い民族がいて、登れば滅ぼされる。と、民衆に一層悪く言いふらし、神を信じない不信仰が圧倒した。その後の現実の歴史は悲惨である。神は、荒野を40年間スパイラルする事で、不信仰な者を死滅させる事を決定された。不信仰とは臆病になり、冒険(リスク)を避け、神を信じないことである。私達も一つの不信仰が、40年間のスパイラル(悪循環)を身に招く事も起こりえる。自らの臆病を警戒しよう。「神から出た者は、神のことばに聞き従います」ヨハネ8・47)

「螺旋(らせん)状的信仰」(5)