「霊的な同化」(2) † 通じるもの。 「至誠通天」極めて純粋な真心は必ず天に通ず。という中国の孟子の言葉である。私達には、この上なくありがたいことは、天に義なる、聖なる神がおられるということである。即ち、私達の真心に対
「霊的な同化」(1)
「霊的な同化」(1) † 神の御業による。 同化「assimilation」は、用語として心理学的、言語学的、社会学的、生物学的分野で用いられている。無いのは、霊的な同化という分野である。既存の四つの分野を総合しているよ
「信のまこと」(7)
「信のまこと」(7) † 聖書の信仰と日本人の信仰。 完結の章を迎え、どうしても触れなければならないのが、聖書の信仰[ギ]ピスティスと私達の信仰の内容である。信仰を新約的に言えば「信頼の服従」である。ドイツ語の信仰(
「信のまこと」(6)
「信のまこと」(6) † 聖書に書いてある。 主イエスの生涯の根拠は聖書に「書いてある」という一事に置かれている。信仰を突き詰めれば、同じように「聖書に書いてある」と言うことが、生命の道なのである。「イエスは言われた。「
「信のまこと」(5)
「信のまこと」(5) † 御国の心地で生きる。 信仰生活の「信(まこと)」とは聖歌467番「悲しみ尽きざるうき世にありても、日々主と歩まば御国の心地(ココチ)す」の歌詞の通りである。私達の唯一無二の特権が、希望に満ちて賛
「信のまこと」(4)
「信のまこと」(4) † 理性と霊の啓示。 理性は本来、人間に備わっており、道理によって物事を判断する、知的能力である。私達はよく「神の御心」という言葉を使うことがある。その意味の中に「客観的」という内容が含まれている。
「信のまこと」(3)
「信のまこと」(3) † 偽りがない。 「信」とは、偽りがない。信義。という意味を持ち、信仰という内容でもあり、すごく重みがある。人が「信」とするものは、揺るぎないその人の真実となる。それをわかりやすく言う言葉が「イワシ
「信のまこと」(2)
「信のまこと」(2) † 主イエスの関心事。 「・・・・イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか」マタイ16・13)主イエスは自分の活動の評判を気にして弟子に尋ねられたのか? 否である。主
「信のまこと」(1)
「信のまこと」(1) † 信の探究。 信とは「信仰」のこと。キリスト信仰のことである。私の生涯は、主イエスの招きに捕らえられた19才から、60年を経てなお、信仰を追い求めている。人間が神を信じるとは、天井知らずの高さを思
「立ちあがる」(7)
「立ちあがる」(7) † 屋台から始める。 福音の素晴らしさは、いかような所でも証詞される事である。ヒマラヤの髙地でも、アマゾンの奥地でも福音は、魂を滅びの穴から救い出している。戦後78年を経て、日本は高度な科学技術国と