「増し加えてゆく」(6)

† 増し加える負担。
 私事だが、年齢と共に、今のままでは足らなくなるものがある。体内の変化に、補いを必要とするのである。特に懸念されるのが脳内の活性化が失われることである。放置すれば認知機能の低下に繋がる。脳の奇蹟の肥料(BDNF「Brain-derived neurotrophic factor」)を必要とする。カカオやチョコレートにも含まれている。私の場合一日3杯くらいコーヒーを飲む。その一杯に「ウコン」を小匙一杯を入れること。脳の活性化、抗うつ、フリーラジカルを中和する。他にもアレルギーを改善し、悪玉コレステロールにも効果があるという。これは一例で、他にも増し加えるべき物が多々ある。あくまでも自分の身体を管理して行くための、増し加えである。日本人の、読書ばなれは著しいが、私は「積(ツン)読」や、棚に残されている、未読の重要な本が、そのままである。この世を去るまでに、なんとしても目を通したいので、暇にはならない。「・・・・ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」ピリピ3・13-14)

† 捨てる事で増し加える。
 二極に分かれる秤を見るとよく分かる。一方を軽くするだけで一方は重くなる。これが、神に依り頼む信仰の原則である。私達は二極に置かれている。「世」か「神」かであるが、世を離れての私(自己)はないのは当然である。だからこそ信仰(神信頼)が聖書の命題となる。先にも、パウロの決断を取り上げた。復活のキリストに出会うまでは、自己に依り頼み、世の最高水準を制覇し、栄冠を得ることが最善だった。所が、世が最大に賞賛する栄誉を「ちりあくた(糞土)」ピリピ3・8)として、捨て去った。要するに「世」の価値や魅力を、秤から取り去ったのである。すると:、言うまでもなく「神」が、100%になったのである。「・・・メネ、メネ、テケル、ウパルシン。そのことばの解き明かしはこうです。『メネ』とは、神があなたの治世を数えて終わらせられたということです。テケルは、あなたが秤で量られて、その量の足りないことがあらわれたことをいうのです」ダニエル5・25-27)現代の私達も同じなので、自分自身を「秤」に載せて確かめよう。

「増し加えてゆく」(6)