「傾向性への警戒」(6)

† 理解と行動のギャップ。
 人間の個性は10人おれば、10人別々で、それぞれ尊重されるべきである。個性も変化してゆくものでブレークスルーして成長する。そのように人間が成長した果てにも個性がある。パウロはテモテの中に、育まれた優れた特性(個性)を見いだしたが、それ以上に成長するように教え励ましている。恐らく、テモテは真理と教えの尊さを理解したに違いない。パウロは真理の理解だけでなく「ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください」1コリ4・16)行動する者となり、理解したことを実践しなさい。と言うことである。私達クリスチャンは、この世で最も素晴らしい卓越した知識(真理)を教えられ、理解している人種である。それだけに理解できた真理を行動(生活)に移すことが肝心である。当然のギャップがある。私達はロボットのように新しいプログラムを実行できない。ロボットは流れてくる電気的信号に動かされて行動している。人間は理解したことを意識的な決断(信仰)を伴って行動するのである。人の真似でもなく、言われたからでもなく、意識的な自己決断によって真理に生きる事を行動するのである。この意志的決断のない傾向性が、現代の教会と、クリスチャンの大きな課題となっている。

† 平常心を保つ。
 「冷静さを保つ」と言う言葉を良く聞く。平常心が保たれている状態なのだろう。今年ドジャースに移籍した太谷翔平選手はワールドシリーズで優勝した。50本ホームラン50盗塁130打点を達成するなど世界の注目選手でもある。太谷選手に見られる変わらない「平常心」の姿は、やはり偉大な選手であり、人間性の豊かさを現している。私達は何かに動かされていると、まず、自分が冷静さを失っているので、人の意見や見解を素直に聞いたり、判断出来なくなる。志向の視角が狭くなってしまうのだ。また、人間は問題、悩み、苦しみなどが平常心を失わせる。しかし「神に委ねる」と平常心が来る「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」1ペテロ5・7)思い煩い(心配)は人の傾向性である。神を信じ委ねるなら、私達も平常心を持てるのである。

「傾向性への警戒」(6)