「生ける水を流す」(6)

† 教会の存在理由。
 教会は誰のためにあるのか?このことに対しての答は幾つかある。地上に、教会があるのだから、世(人々)のためである。大きな理由の一つである。しかしながら、最重要なことは、教会は主なる神のためにある。聖書の歴史は、神がご自分の民をお持ちになり、民の中に神ご自身の栄光と、驚くべき力ある御業を現すことである。「主は、賛美と名声と栄光とを与えて、あなたを主が造られたすべての国々の上に高くあげる。そして、約束のとおり、あなたは、あなたの神、主の聖なる民となる」申命26・19)旧約の神の民(イスラエル)であり、今日の私達が神の民(教会)である。私達はキリストと親密に結び合わされて「賛美と名声と栄光とを与え」られる。しかして「全ての国々の上にたかくあげられる」 神の民(教会)に、神がお住みになり、神の栄光と権威が現れるので、全世界の人々が、神の存在を知り、罪の悔い改めに導かれるのである。神がご自分の民の中に「生ける神」として、住まわれるための教会である。神の民(教会)に必要な事は、旧約聖書で言われていることと同じである。「わたしはわが民のわたしに聞き従い、イスラエルのわが道に歩むことを欲する」詩81・13)主なる神が、私達を従わせて、立ち上がられるからである。これが教会(主の民)の存在理由である。

† リバイバルの生ける水。 
 今回、大きな聖会に参加して、多岐にわたって教えられた。リバイバルが聖会で叫ばれる中、アジアでは著しく宣教が拡大している実体が証詞された。中南米、特にブラジルでは驚くべきリバイバルの実体を見せられた。リバイバルの歴史が取り上げられ、最初にイギリスのウェールズでのリバイバルが挙げられた。エバン・ロバーツ(1904年)が紹介された。私は二十代の頃に、彼の伝記「ウエールズのリバイバル」についての書物(小著)を読んだことがあったので、驚いた。彼は敬虔に祈り、神に叫び待ち望んでいる時「神の声を聞いた」そして、青年達を集めて説教すると「罪の悔い改めと回心」が連鎖し、リバイバルがウェールズの全域を覆ったのである。リバイバルに流れる、生ける水は「罪を鮮烈に思い起こさせ」生ける水は怒濤(ドトウ)の如く襲い「悔い改め」へと打ち倒す。個人のみならず、地域が神の国と変えられるのである。

「生ける水を流す」(6)