「生ける水を流す」(7)

† 川となって流れでる。
 川とは「河」を意味している。大きな川のことである。私達の想像を超えた流れのことである。心の奥底から(腹から)涌きでるのである。
一つ、体験した事は「驚くべき神の御業」として現れがある時、これは「河」として現れるご聖霊である。河にしても、川にしても視覚的に見えるものである。そういう意味で「しるし・不思議」として見る事のできる驚きの出来事である。さらに求められる「河」は、教会のリニューアル(刷新)である。Reviva(リバイバル)lは「再生」である。共によく似ているが、私の理解では、真理の本質に回帰する事である。わかりやすく言えば、主なる神に対して、人間が距離を置いていることを悔い改め、神と直接的な生活にする事である。私はビンヤードのリニューアル運動の中で、キリストと一体化される恵みを得た。このような体験が個人ではなく、教会の肢体全体に浸透するとき、激しい河の流れが、肢体(教会)から溢れだす。そして信仰の再生(リバイバル)が起こる。生命の水の流れの中では、曖昧さ、不信仰が罪深さとして示される。主の聖なる臨在の中で、一切の暗闇が明るみに引き出される。また、人が負う傷も、痛みも、聖霊により解放され真理の自由を得られる。

† 伝道に伴う生命の水。
 教会に人々が集っているのは、聖霊による「認罪」から、主イエスの血潮による罪の赦しを受けた人々が、教会に集っているのである。「ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です。」と言うことはできません」1コリ12・3)聖霊によらなければ、50年の伝道は、何ら実を結ぶことはなかったのである。一人の救いのために、全力を尽くすが、人の救いは、聖霊が、主イエスの血潮で罪を赦し、救いを現実にする。次に聖霊は、罪赦された人の、心の奥底から、生ける水となって流れ出る。目的は、伝道するための、証詞するためである。「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」 ヨハネ16・33) 生命の水は、神の栄光のために、私達を「勇敢」に立たせるのだ。伝道に、聖霊の働かれることを信じよ。

「生ける水を流す」(7)