「歩み出すとき」(4) † 良いことは忘れない事。 いよいよ主の降誕によって、新しい年が始まった。しかし、カレンダーでは年末である。目につくのは忘年会という、お決まりの言葉と宴会である。一年間の労苦を忘れ、親睦のために
「歩み出すとき」(3)
「歩み出すとき」(3) † 自由になれる道に。 自由とは、聖書的には広場の意味を持つ。広場を想像すれば、そこには圧迫するものがない。脅かすような何ものもない。物理的には、そういった、穏やかな空間に安らぐことである。また
「歩み出すとき」(2)
歩みだすとき(2) † 人は人私は私。 真の個人主義は、神を畏れる所にある。神を畏れるならば、兄弟姉妹を愛する(隣人愛)が生きている。人は人私は私という時には、人の事など関係ないということではない。神にあって、人の独自
「歩み出すとき」(1)
「歩み出すとき」(1) † 準備する。 アドベント(待降節)は、主イエスのお生まれを、待ち望む時を意味している。「・・・・マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らの
「道理に立ち返る」(7)
「道理に立ち返る」(7) † 誰の言葉か? 思うに、最終的に、それは「誰が語った言葉か」が、重要である。大学の図書館に行くことは、めったにないが、何年も前にアメリカのシアトルにあるワシントン大学の図書館を訪れた。とにか
「道理に立ち返る」(6)
「道理に立ち返る」(6) † MVP (most valuable player) MVP「最優秀選手。ある期間を通じ最も活躍がめざましくチームに貢献した選手に与えられる賞」に太谷翔平選手(27才)が満票で選ばれた。投
「道理に立ち返る」(5)
「道理に立ち返る」(5) † 盲目と好み。 動物と人間の違いについては色々な事が言われる。その中で、とりわけ、わかりやすいのは、どんなに原始的未開にある人間でも必ず宗教があり、信仰がある。と言うものである。私達は既に神
「道理に立ち返る」(4)
「道理に立ち返る」(4) † 私はちり灰に過ぎません。 「アブラハムは答えて言った。「私はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください」創世18・27)滅亡するソドムからロトの家族が救われるように、神
「道理に立ち返る」(3)
「道理に立ち返る」(3) † 必要が不必要に。 20年前はラジカセ時代であった。それで様々な大型のラジカセが登場した。CDを登載したラジカセが主流になった。子供達が欲しがるので当時の評判のラジカセを買った。手元から離れ
「道理に立ち返る」(2)
「道理に立ち返る」(2) † 人の好まないこと。 人の好む事は何だろう?第一に「道理に適うこと」である。しかし、これには注意が必要である。私達の性情には、四角四面である事を好まない傾向がある。要するに真っ正直では、面白く