らしく生きる(5) † 四苦八苦する。 新しい物がすべて便利ならば、この上ない。しかしながら、その便利さに到達するまでに四苦八苦するのことが多い。自分の手に馴染むのに難しいものがあったり、仕様が複雑で時間を要することが続
「らしく生きる」(4)
「らしく生きる」(4) † よそおい。 身だしなみのことで困ることがある。年令にふさわしい身なりを考える時に戸惑うのだ。店には溢れるばかりの衣類が売られているのだが、どれが適切か迷うわけである。シニア向けのコーナーに行っ
「らしく生きる」(3)
「らしく生きる」(3) † オリジナル。 一口に「パン」といっても最近は独創的なもの、オリジナルなパンが人気である。その人しか作れない独自のパンという事だ。時間を掛けて研究し、苦労をおしまないで完成させたものである。さ
「らしく生きる」(2)
「らしく生きる」(2) † ホームポジション。 身近な所にも重要な位置がある。毎日お世話になっているキーボードにも「F」と「J」にはホームポジションを示す突起物が設けられている。そこに常に左右の人さし指が位置するためであ
「らしく生きる」(1)
「らしく生きる」(1) † クリスチャン以前に。 19才の時に宣教師に出会って、キリスト教会の交わりに加えられた。しかしそれまでに聖書を買い求めて読み始めていた。ガイドブックもなく、ひたすらに修養の書としていた。信じるな
「歩み出すとき」(7)
「歩み出すとき」(7) † 期待と希望に向かう。 一月も中ばを迎えた。多くの人の歩み出しを聞いたが、特別な歩み出しをしていない人もいるようである。確かに、振り返ってみれば、毎年同じように生きており、決心したことも、日常の
「歩み出すとき」(6)
「歩み出すとき」(6) † 本物に向かって。 偽物が本物になれる道があるのか?例えば人工ダイヤモンドは本物になれる過程(プロセス)があるのか?可能性をいまだ聞いたことがない。取り上げたいのは、そういった元素的な違いではな
「歩み出すとき」(5)
「歩み出すとき」(5) † 新に歩みだす時。新年の喜びは期待に心が弾んでいる。「新しい」ことを全てに適用できる幸いがあるからだ。第一に、新しい主なる神のお導きが始まった。なによりも期待して間違いのない祝福があるからだ
「歩み出すとき」(4)
「歩み出すとき」(4) † 良いことは忘れない事。 いよいよ主の降誕によって、新しい年が始まった。しかし、カレンダーでは年末である。目につくのは忘年会という、お決まりの言葉と宴会である。一年間の労苦を忘れ、親睦のために
「歩み出すとき」(3)
「歩み出すとき」(3) † 自由になれる道に。 自由とは、聖書的には広場の意味を持つ。広場を想像すれば、そこには圧迫するものがない。脅かすような何ものもない。物理的には、そういった、穏やかな空間に安らぐことである。また