「神と人間の志向」(2) † 信仰の初め。 私ごとであるが19歳から信仰生活が始まった。私が志向していた信仰とは、世の中に通用する科学的である事。同時に社会に通用するものであること。自分の感性と置かれている状況を克服する
「神と人間の志向」(1)
「神と人間の志向」(1) † 欲求する人間。 私達の見える世界では、持つ者は豊かさを持ち、無い者は乏しさでしかない。私達は幸い豊かな日本に住み、幸いな制度の下に守られて生きられる。しかし、人間は、感謝し満足するよりも、な
「増し加えてゆく」(7)
「増し加えてゆく」(7) † 増し加える痛快。 痛快とは、たまらなく愉快と言うことで、たまには、そういう体験をしたいものだ。思うに、自分が「痛快」と感じれば良いのではないか?と考える。昨年は、牧師としての務め以外に、数え
「増し加えてゆく」(6)
「増し加えてゆく」(6) † 増し加える負担。 私事だが、年齢と共に、今のままでは足らなくなるものがある。体内の変化に、補いを必要とするのである。特に懸念されるのが脳内の活性化が失われることである。放置すれば認知機能の低
「増し加えてゆく」(5)
「増し加えてゆく」(5) † 信じるための無責任。 誤解を生む「無責任」と言う言葉の重要性を考えたい。私達は主イエスを愛し信じているが、一人の律法学者のようである。「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従ってまい
「増し加えてゆく」(4)
「増し加えてゆく」(4) † 無料で増し加える。 「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みない。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、そ
「増し加えてゆく」(3)
「増し加えてゆく」(3) † 驚きが増し加わる。 慣れ親しむと、当たり前に成り、特別な感動がなくなる。最高が最高なのだと、驚きもしなくなる。同じように私達も、神の恵みに回帰していないと驚きがなくなる。回帰とは、いつも、初
「増し加えてゆく」(2)
「増し加えてゆく」(2) † 力から力へ。 「若者も疲れ:、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」イザヤ40・3
「増し加えてゆく」(1)
「増し加えてゆく」(1) † 大人であること。 子供達を見ていると、日々に成長してゆく様子に驚く。小学一年生の男の子に、卓球のラケットの振り方を教えて、打ち合うと、見事に真似をして、素晴らしい返球をしてきた。一方、癖のつ
「螺旋(らせん)状的信仰」(7)
「螺旋(らせん)状的信仰」(7) † 新鮮な繰り返し。 12月を迎えるとクリスマスに向かう。キリストの生誕に最も大きな意味を感じるからだ。この偉大性をすべての人に伝えたい、その思いで「クリスマス教会祭り」が50年近く続け