「生ける水を流す」(3) † 生ける水の本質。 「御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた」黙示22・1-2)この水晶のような命の水は、御神と
「生ける水を流す」(2)
「生ける水を流す」(2) † 湧いてくる水。 山の中腹くらいの谷に、大きな岩があった。その岩の下から水が湧いていた。子供時代に「ここからか!」と感動した瞬間だった。この涌きでていた水は、裾野の方ではザワザワと音を立てて流
「生ける水を流す」(1)
「生ける水を流す」(1) † 信じる者に起こる。 「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」ヨハネ7・38)クリスチャン生活の特徴は「腹から」即ち、私という中心から、生
「私でしかない」(7)
「私でしかない」(7) † 十字架に共に死す。 原語に忠実な永井訳では「我はキリストと同(トモ)に十字架につけられたり。されど、我は生く、尚(な)ほ我にあらず、キリスト我にありて生き給ふなり。されどわれ今肉にありて生くる
「私でしかない」(6)
「私でしかない」(6) † クリスマスの私。 主イエスの降誕を迎える。クリスマスは人類のお祝いだが「クリスト・マス(救い主を礼拝する)」ことである。これは儀式ではない。「私の主。私の神」ヨハネ20・28)として、私がひれ
「私でしかない」(5)
「私でしかない」(5) † 主イエスを慕う者。 人には、誰にも知られない秘められた思い出が在るに違いない。唯一のかけがえのない美しい思い出ともいえる。地上に生きる私達は、様々な体験を通して「自分を認識する」赤児の時、まず
「私でしかない」(4)
「私でしかいない」(4) † 私自身を受け入れる。 セネカは「人生の短さについて」の中で、かく言う「おまえがそんなことをしたのは、他者と共にありたかったがゆえではなく、自己と共にあることに耐えられなかったがゆえなのだ」と
「私でしかない」(3)
「私でしかない」(3) † 肯定的な私である。 私でしかない。という内容は、肯定的な私のことである。「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです」マタイ22・14)招待されたのは、主イエスであるが、選ばれるのも主イエ
「私でしかない」(2)
「私でしかない」(2) † 神の目の中に在る。 何を持って自分の存在が在るのか?求められた優秀さにおいてか。世に在って評価を得る事によってか。それ以外にも多くの候補があるに違いない。立場や分野においても、自分たらしめる
「私でしかない」(1)
「私でしかない」(1) † 最も小さな単位。 百人の中の一人とみるか、世界人口82億人のうちの一人とみるかで単位は大きく変わってくる。何の意味もない比較としか思えないが、はっきり解ることは、「私は私として生きている」とい