「霊的な同化」(6) † 一心同体。 「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる」エペソ5・31)神の御前で、誓約された結婚の、祝福の真意が述べられる。一心同体という言葉は新約聖書で4回用いら
「霊的な同化」(5)
「霊的な同化」(5) † 聖霊に仕える。 仕える(奉仕)のことを、ミニストリーと言う。人や地域や社会に対する奉仕(仕える)ことである。私達は知っている「イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今
「霊的な同化」(4)
「霊的な同化」(4) † 神からの私達。 日本は、無神論者の国、あまたの偶像の国である。所が聖書を通してならば、この日本は神のものである。「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったこと
「霊的な同化」(3)
「霊的な同化」(3) † オーバーラップ。 「二つ以上の要素が重なり合うこと」信仰(信頼)の中に、生きる私達は、目に見えない霊なる神を知る。御言葉は「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮
「霊的な同化」(2)
「霊的な同化」(2) † 通じるもの。 「至誠通天」極めて純粋な真心は必ず天に通ず。という中国の孟子の言葉である。私達には、この上なくありがたいことは、天に義なる、聖なる神がおられるということである。即ち、私達の真心に対
「霊的な同化」(1)
「霊的な同化」(1) † 神の御業による。 同化「assimilation」は、用語として心理学的、言語学的、社会学的、生物学的分野で用いられている。無いのは、霊的な同化という分野である。既存の四つの分野を総合しているよ
「信のまこと」(7)
「信のまこと」(7) † 聖書の信仰と日本人の信仰。 完結の章を迎え、どうしても触れなければならないのが、聖書の信仰[ギ]ピスティスと私達の信仰の内容である。信仰を新約的に言えば「信頼の服従」である。ドイツ語の信仰(
「信のまこと」(6)
「信のまこと」(6) † 聖書に書いてある。 主イエスの生涯の根拠は聖書に「書いてある」という一事に置かれている。信仰を突き詰めれば、同じように「聖書に書いてある」と言うことが、生命の道なのである。「イエスは言われた。「
「信のまこと」(5)
「信のまこと」(5) † 御国の心地で生きる。 信仰生活の「信(まこと)」とは聖歌467番「悲しみ尽きざるうき世にありても、日々主と歩まば御国の心地(ココチ)す」の歌詞の通りである。私達の唯一無二の特権が、希望に満ちて賛
「信のまこと」(4)
「信のまこと」(4) † 理性と霊の啓示。 理性は本来、人間に備わっており、道理によって物事を判断する、知的能力である。私達はよく「神の御心」という言葉を使うことがある。その意味の中に「客観的」という内容が含まれている。